止まらない

ネガティブ思考が止まらない。

脳内で悪いことばかり浮かんできて、眠れない。

もともと、楽天家ではない。

でも、それほど悲観的でもなかったはず。

今月になってから、たまたま血圧を測ると上が160になっていた。

8月に献血をした時は正常だった、ずっとずっと正常範囲だった。

こんなことは初めてで、体を動かすようにして塩分も気にしている。

160はたまたまだったんだろうが、まだやや高めとなっている。

そして、ここんところ頭痛がするようになってきている。

以前の片頭痛とは違うもの。

病院へ行けよと思われるところだが、私は通いなれていない。

私の記憶をたどると、内科へ行ったことがとても少ない。

高校生の時、水ぼうそうになったかな。

大人になっても、風邪の2回と風疹の1回かな。

私は受診を怖いものと取れえる向きがある。

 

体のことだけでなく、漠然とした不安も付きまとってくる。

下の子が就職で家を離れ夫婦二人きりになると、

1年半ほどでパートの仕事をやめてしまった。

下の子が3歳ごろから続けてきたパートだが、

学費も住宅ローンもなくなると、働く気が無くなってしまった。

贅沢なことはすることができずに、控えめに生きてきたので、

きちんと老後資金の用意はできている。

でも、そこからグダグダの生活をしているような感じで、

楽しいことも見つけられず、眠るように生きているような。

私が毎日見ているブログの方が、借金返済中は完済を目指していたが、

借金が無くなると、将来の不安が出てきたと書いていた。

同年代の方で、フルパートの他にファミレスでも働いている。

私にはとてもできないこと。

私は高1からアルバイトを始めたが、あの時の必死さはもうない。

とても貧しい家庭で、アルバイトで得るお金は喜びだった。

日本人には多いのだろうが、私も自己肯定感が低い。

今この場ですうっと消えることができたらいいなと思うことがある。

神隠しにあっても、良いのになあと思うこともある。

私はコミュニケ―ションが苦手で、人間関係をうまく作れない。

幼児期の教育の重要性を書いている本で

「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」というものがある。

私の田舎は保育園しかなかったが、希望すればだれでも入れた。

しかし、貧しかった我が家は保育園へ行くことができなかった。

何もしつけられない親の元、同年代の子の交流の少ないまま小学校へと行った。

私の微かな記憶に、1年生になったら折り紙を教えてもらうというものがあった。

でも、いつまでたっても折り紙は教えてもらえなかった。

そう、それは保育園でするものだから。

アメリカで、とある経済学者(?)が貧しい地区に住む子供たちに就学前教育をした。

やる気、忍耐力、協調力などを付け、

課題を決定、計画、実行、復習できるように。

その40年後、教育を受けた子と受けなかった子ではあきらかな違いが出た。

全てではないが、教育を受けた子はきちんと働き自己肯定感も高い。

受けていない子は、すさんだ生活をしていて自己肯定感も低い。

私も貧しい家庭の出身で、自己肯定感が低く卑しい気持ちを持っている。

なんで生きているんだろうと答えのない問いは、考えるだけ無駄。

心に豊かさを持ちたいと思う。

もう、朝だね。

 

 

損しちゃった

ペット用品のお店で、一つしか買っていないものが二つとなっていることが、

家に帰ってレシートを見てから判明した。

念のため私の勘違いかもと袋の中を確認したが一つしかない。

せっかくポイントをためて500円引きになったのに、

その商品は325円もして、とってもがっかりした。

クレームを入れたいと思ったが、

これって、買ったものが一つか二つかの証明ってできるかな?

諦めることにした。

後日、月に一度、ペット用品が三割引きになるスーパーでのこと。

猫たちの大好きなチュー〇を5種類×2袋ずつ買ったのだが、

家でレシートを確認すると、ここでも1種類が×3となっていた。

買ってきたものをよく数えたが×2しかなかった。

まただよ~。今回は134円。悔しいよ~。

2店とも、たくさんのものを買っている。少量なら気づいていたかも。

今度から、レジではよ~く見るようにしよう。

 

そして今日、来週のツアー旅行の案内が来た。

申し込みの時は間違いなく途中駅からの乗車と伝えている。

受けた方にも、入場券を買ってそれで入ってホームで待つようにと言われた。

にも拘わらず、東京駅の集合となっている。

その案内に表示されている電話番号は03から始まるもの。

私が電話代を払って、途中乗車だと伝えなければいけないのだろうか。

伝えなければ、当日、東京駅で私たち夫婦が来ないとなるのだろうか。

もお~いいかげんにして。

でも、どうしようかな、思案中。

 

庭の菊が咲き始めた

近所の方からいただいて、20数年。

毎年綺麗な花を見せてくれる。

貰った時は一色だったと思うが、今現在三色の色をつけている。

根だけを残しておくと、秋の日に必ず咲いてくれる。

手もほとんどかからず、丈夫な花だなあとつくづく思う。

その近所の方は数年前に、がんで亡くなっている。

同じようにその方には百日紅もいただいた。

夏の間、結構長いこと花を楽しませてくれた。

百日紅の時は感じなかったが、菊を見ていると

その方を思い出す。優しい方だった。

秋はなんか寂しいね。

 

私を動かすものは

隣家で家周りの工事が始まり、とても大きな音を立てている。

こちらは閑静な住宅街で、普段はとても静かなところ。

私はここんところあまり出かけてなく、家に閉じこもり気味だった。

その私を動かしてくれたものは、騒音。

久しぶりに温水プールに入った。

そこは家からは遠く、車で30分のところ。

焼却場の余熱を利用して、プールにお風呂と他にもいろいろとある。

プールはこじんまりとしていて、4コースしかない。

家から車で20分ほどのところには、試合もできる50mプールもあるが、

設備が古いのと、水温がやや低いなどがあり、あまり行きたくない。

利用料金は、あちらが400円でこちらは200円。

そしてこのこじんまりプールは、利用者が少ない。

なので、先週今週と2回も行っちゃった。

またここは、こじんまりなので、1時間に10分の休憩タイムがない。

のんびり70分程、ウォーキングや泳ぎをして過ごす。

1週間に1度行く習慣に出来たらいいなあ。

 

今日は自転車で出かけた。

5~6キロ先まで走らせたが、電動なので楽々。

しかし、帰り道ちょっとイラっとした。

そんなことにイラつく私にもイラっと来る。

そこは少し狭い道で、黄色と赤の点滅の信号がある。

私側は赤の点滅、交差側は黄色の点滅。

交差側を車がゆっくり徐行しながら進んでいく。

そして、最後の車が止まってこちら側に譲ってくれる。

私はその好意にイラっとしてしまう。

あなたが止まってこちら側は進んでもいいんだなと確認するまでの時間と、

あなたがそのまま進んてしまった時の時間では、

あなたがそのまま進んでくれたほうが早いと思って、イラっとする。

イラっとして、そして情けなくなる自分。

車で走行中にも似たような場面がある。

道路の中途半端なところで右折しようとしてるとき、

対向車が後1台で途切れるのに、その1台が止まって道を譲ってくれる場面。

あなたが徐行して止まるのを確認して右折するのと、

あなたが通り過ぎてから右折するのでは、

あなたが通り過ぎてから右折のほうが時間的にも早いと思ってしまう。

あ~あ、人の好意にイラっとしてしまう私、情けないね。

そして現在も、隣からの断続的に騒音は続く。

でも、もう、出かける元気はない。

 

 

新しい設備

昨夜は激しい風と雨のため、あまり寝むれなかった。

我が家は丘の途中くらいにあるので、浸水の心配はない。

しかし、建物は古くなりつつあり、風に飛ばされるのではと不安な一夜となった。

古くなりつつある我が家とは対照に、新しい設備の話。

先日、彼岸花と芙蓉の花を見に行った。

途中高速道を一区間だけ走り、50分ほどで着いた。

そこは、田園の中に芙蓉、酔芙蓉が数百本。

田んぼの脇には彼岸花が咲いているところ。

稲刈りの方もいて、イナゴがたくさん飛び跳ねていた。

稲の黄と彼岸花の赤がとても綺麗だった。

少し移動した大きな公園の土手にも彼岸花

たくさん咲いているが、3~4年前と比べると少し減ったような。

花を楽しんだ後は、今年新しくオープンした施設へ。

まず、トイレで用を足していると、洗った手の水分を吹き飛ばす機器の音がした。

個室を出て手を洗い、私も手の水分を飛ばそうとしたがその機器が見当たらない。

まあいいかと「マルシェ」と表示の店の中へ。

半分ぐらいのスペースをスポンサー企業の商品が占めているが、地場産商品もいろいろあり、季節ものの栗を買う。

マルシェ以外の本来の目的も体験して、そこで昼食をとる。

肉と魚と野菜のしゃぶしゃぶをいただく。惣菜と甘味も数品ついて満足する。

車へ戻る前にもう一度トイレへ行く。

用を足していると、また、水切りの音がする。

個室から出ていくと、私より年配の方達が私を見て、

どうやるのかを見てみようと言っている。

その方たちは水切りの風は出せたが、水を出すことができなかった。

その水栓は、鏡側の壁から逆Tの字型で出ている。

T字の重なったちょうど真ん中の下に手をやると水が出て、

両端からは手をかざすと風が吹き出てくる仕組みになっている。

一つで二役をこなす優れものだった。

従来の箱型は、内壁に菌が繁殖して風と一緒に菌をまき散らし、

せっかく洗った手を汚しているとネットに出ていた。

この水栓は囲まれてなく、下に大きな洗面ボールがあるのでその点は大丈夫かな。

でも、利用方法は表示してほしいね。

新しいものは年を取ってくるとすぐに対応することは難しいね。

 

 

 

特別なわたし

今日は、金木犀が咲いた。

雨が降ったせいかそれほど匂わないが、

1年のうちで、この時だけ注目される金木犀を私は好き。

四角い土地の対角線上のすみとすみに1本ずつ植えてある。

この家へ引っ越ししたら、絶対に植えようと思っていた金木犀

もう、四半世紀を生きている。

花を見に行く私を、あいつが攻めてくる。

今年は酷暑のために数が減っているとテレビでは言っていたが、

我が家の庭には、暑さもモノとせずにたくさんの「蚊」が居る。

急に寒くなってきたが、我が物顔でまだ居座っている。

7月か8月にテレビで、蚊に刺される人と刺されない人の差は何かと伝えていた。

足の裏が汚れているかいないかと言っていた。

私は早速、足の裏を綺麗にして庭へと行った。

たくさん刺された。

後日シャワーを浴び、とことん綺麗にして庭へ行った。

やはり、たくさん刺された。

結論、私は蚊にとても好かれる存在。

特別な人間だったようだ。

蚊に刺されないためには、肌の露出を避けるのが一番かな。

薄手のシャツなどはものとはせずに刺す蚊もいるけど。

特別な私は、今年たくさんの血を提供してしまった。

来年は、どうにかしたい。

 

白色夕顔は、どこへ。その2

もう、養えないかもしれない。

最低気温がぐっと下がった朝。

ひんやりと気持ち良いので、起床と同時にベランダへ出る。

先端が空中をさまよっている夕顔もどきを観察すると、

3cmほどの細い青虫を発見する。もしかしてと、

急いで庭へ出て、夕顔もどきをよく見ると今年もあいつがいた。

去年、白色夕顔にたくさんついていたクロメンガタスズメ(ガ)の幼虫。

人の中指ほどの大きさのものが2匹確認できた。

やはり、夕顔もどきは白色夕顔のDNAを持っているのだろう。

庭の他の植物には目もくれず幼虫は、夕顔もどきの葉を食べる。

しかし、ここで問題が起きる。

夕顔もどきの葉は白色夕顔の葉と比べて小さい。

3分に1から4分の1ほどの大きさなので、

食欲旺盛な幼虫のための葉が足りなくなりそう。

幼虫を見てから4~5日しかたってなのに、

今現在、全体の7割ぐらいの葉が無くなっている。

きっと、2匹どころか見えないところでもっとたくさん潜んでいるのだろう。

先端の青虫も、クロメン~~だろう。

クロメン~~は、とても行儀よく丁寧に葉を食べきる。

幼虫は、夕顔もどきの葉を食べつくして、さなぎへとなれるのか?

光合成のできなくなった夕顔もどきが先に枯れてしまうのか?

どうなるのだろう。